萬覚書

Carpe Diem. Seize the day.

美に関する放談

7月以降ブログの更新頻度を上げることを目標としていたが、結局更新頻度が増えることはなかった(≠出来なかった)。

そうグズグズしているうちに20代もあと数年で終わる年齢になってしまった。この先は他人ではなく、自分との闘いであると強く感じる。

人に教える立場にある者は同時にプレイヤーでなければならないという考えが俺にはある。逆に、俺は誰の指導を乞いたいかというとそれはやはり現役のプレイヤーである。仕事であれば最前線に立って事情をよく知っている人であり、格闘技であれば流行系を取り入れ実際にどういう攻防が行われているかを知る人であり、学問や勉学であれば自分の専門とする領域を深く掘り下げようとしている人である。

そうなると自分がどの立場にあるかに関わらず、自己若しくは指導すべき対象のいずれにせよ所謂"成長"を追究するためには、まずは自分の身をその戦場に置き、必死にもがいて探求していくということが必要不可欠になる。その探求において他人という物差しは介在しない。

そして最近気づいたこと、いや無意識下においては20歳頃から感じていることは、自分にとって所謂"成長"を志向する過程で、美しさなるものを追究することが非常に効果的あるということである。

美しさなるものというのは、将棋においては終盤から終局にかけての綺麗な棋譜作りであり、仕事においては無駄なく丁寧なアウトプットを顧客や役職者に提示することであり、野球においては膝や腰から上半身に力を伝達しミートポイントに対してしなるようにバットを出すことであり、柔道においてはわずかな横ステップを捉えて横巴投げで相手を宙でコントロールして投げることであり、書くという行為においては三島由紀夫のようにパズルのピースをはめるような的確且つ格調高い表現や語彙を自然に流れるように構築していくことである。

人それぞれ何を美しいと感じるかは違うが、とにかく自分にとっての美しさなるものは向上心に対しての原動力になりうる。

上記にも関連するが、多少お金をかけてもこだわりの道具を持つことは良いことである。その道具で行為を大切にできるからである。例えば、良いペンを使うと綺麗な字を書こうとするし、良いグラスを使えば味わって飲もうとするし、良いバッグと香水を使えばそれに見合う立ち居振る舞いをしようとする。但し上から下まで高いもので固めても却って下品に見えることもあるため、何事もバランスである。

結局、モノでもコトでも自分の意思を吹き込むことは最重要である。