萬覚書

Carpe Diem. Seize the day.

如何に自分が可哀想か大変か弱いかのアピール、悲劇的で自虐的な自己顕示、どうでもいいような不平不満が24時間365日SNSで蔓延している現代社会の中で、疲れや弱さを見せずに一点集中して闘っている顔が好きだ。加えて彫刻的な筋肉を纏っていればなお良い(ホモではない)。ここで意味している"顔"とは、顔の整い度合いを切り口としたものではなく、"面構え"のことを指しており、イケメンが含んでいる持続的で造形的な顔とは異なる、もっと瞬間的で観念的な"顔"のことである。

 

英国のロックバンドoasisはattitudeで歌っている、つまり声だけでなく存在全体で歌っているが、顔とはまさにattitudeの最も大きな一つの表出である。緊張し集中した顔、三島由紀夫の表現を借りれば「絶えず振りしぼられた弓のように緊張し」たような顔は、軟弱で無機質な社会への抵抗であり、生命力や逞しさの表れである。寡黙な顔つきはそれだけで、成功者の饒舌や年長者の説教よりも多くの含蓄を有する場合がある。

 

柔道の出稽古先の中学生は良い。指がもげそうになっても一切妥協せず組み手争いをし、倒れても少しうつむき、表情を変えず、ゆっくりと片膝を立てて立ちあがる。そして疲れた素振りを見せずに、淡々と稽古に打ち込んでいく。俺がスタミナ切れでバテていても、笑みを浮かべることなく容赦なくボコボコにしてくれる。違う出稽古先の寡黙な青年も、表情一つ変えず、レスリングスタイルで引っこ抜いてくる。逆に投げられる場合でも、照れ笑いや諦めの表情を見せず、負けの美学を感じさせる。彼らは面構えと行動が常に一貫しており、強さに対する意思が透徹しているのである。

 

野球に対して真摯に向き合う大谷翔平はアスリートとして尊敬しているが、彼は爽やかすぎる、というより少しあざとさを感じる。タイムリーヒットを打っても大記録を塗り替えても武士の顔を持つイチローを俺は支持したい。"猛虎""鬼の牛島"の異名をもつ牛島辰熊については、単に立っているだけの画像を見るだけでも只者ではないことが分かる。戦時下で学徒出陣壮行会に参加する学生については言うまでもない。

 

日常生活の中で顔は溢れているが(特にオンラインの場合は消費される意味での顔が多い)、空間的な存在以上の、attitudeとして意味のある"顔"や面構えは貴重である。

 

現在社会では暑苦しいと忌避されがちな"強さへ意志"とその表出としての"顔"を、弱小サラリーマンである俺も常に都心のビル群の中で持ち合わせていたいと思っているが、5カ月ぶりとなる有給休暇の前夜において、労働からの一時的な解放に喜びを禁じ得ず、書き手の俺自身の顔が弛緩していることについては、言い訳の余地がない。