萬覚書

Carpe Diem. Seize the day.

桜の季節所感

社会人となって1年が経過した。今までにはないような途轍もなく速い一年であった。「如何に仕事で体力を使わずに残りの可処分時間の活動量を増やして生活を充実させるか」をテーマにしていたため、プライベートは充実していた一年であった。特に柔道とドライブにはだいぶ助けられた。入社、新しい街での一人暮らし、新しいコミュニティ参加などの環境変化と共に、所有物や身に着けるものなどもガラリと変わった点では飽きのない生活であった。

一方で仕事に関してだが、社会人になってからは限られた時間の中で担務を遂行しなければならない場面がほとんどのため、何かをじっくり考える、自由に思考する、ゆったりとした時間の中で内省するという部分が弱くなったと感じる。普段の職務においては、社会や世間が用意した型に当てはめたり自分のやり方を貫いたりその都度混在して、自分を見失っていたり迷走していたため、振り返ると全くうまくいかなかった。4月から部署異動があるが、より重要な職務に従事するため、多方面で勉強することが増えている。色々なことを知っていなければならない必要性が生じたのだ。特に国内や世界の政治・経済・金融等々の動向を常に把握しつつアウトプットしなければならず、俺の結果が会社の業績に直接的に結びつく。その意味で"金を稼ぐ"ということが明確な輪郭を持って現前する。選民思想に近いものかもしれないが、俺がこの会社にこういう形で採用されたということはそれなりの大きな役割を期待されていることであるということを再度自分に問わなければならない。

何事も一生懸命に打ち込めるだけ打ち込んだ方がよいと痛感している。今の自分には出来ていないし難しいことではあるが、「面倒くさい」「疲れた」という理由で機会を損失するのは非常に勿体ないことであると思う。自己の前進、その姿勢を見た周りの共鳴、その瞬間の生への実感を得るためにも全力を尽くすことは非常に重要である。

このままではあっという間に貴重な20代が終わってしまうため、しかも人生の諸先輩方によると今後加齢のペースは更に加速していくらしいため、日々を濃密に一秒一秒を噛みしめていこうとする意思は変わらない、というよりむしろ強くなっている。3月に観た映画「Dead Poets Society(邦題:いまを生きる)」にあるラテン語で"carpe diem"、英語で"seize the day"、日本語で"その日をつかめ"という言葉を肝に銘じて、これからの日々を刻印していくことを改めて自分に課していく所存である。