2019年以前
みちょぱ、ゆきぽよ系統のゆるふわ的名前から、10代20代女子ターゲットの量産型恋愛ソングを想像し、俺にはノイズでしかないであろうと食わず嫌いでいた。
2020年4月
コロナ禍において自宅待機となった平日に、坂道ダッシュのための公園に車で移動中、車窓から自由で心地よい風を感じ、何か新しいことが起こる期待を胸に抱きながら聴いた「マリーゴールド」「ハルノヒ」。
2020年6月
Youtube界の松本人志ことステハゲの引退発表を受けて作成された総集編動画でBGMとして使用され、以降ステハゲのイメージしかない「さよならの今日に」。
2020年8月
柔道の帰り、運転中に冷房を消して窓を開けてぬるい風を感じながら町田市内をあてもなくドライブして聴いた「裸の心」。
2020年9月
夜の国道246号線(神奈川・静岡県境付近と記憶)における大渋滞の中、極度のイラつきと極度の尿意を緩和させるため繰り返し聴いた「愛を伝えたいだとか」「ら、のはなし」「今夜このまま」。
2021年4月
転職活動を通じて新しい何かが俺の中で始動すると期待し、道中様々な感情で聴いていた「空の青さを知る人よ」「桜が降る夜は」。
本日
午前、Excelファイルで赤字の家計簿を更新中、youtubeの自動再生で偶然「ひかりもの」が再生され曲の存在を知る。午後8時、半袖を冷たく過ぎる(aiko風)秋めいた夜風を感じながら、チャプチェとあんかけうどんの具材を買い出しに行く往復路で聴いた「ひかりもの」。深夜、上半身のウェイトトレーニングを終えてジムから帰る道中に聴いた「ひかりもの」。
今
檜のお香が充満した豚小屋みたいな部屋で、Heinekenの缶ビールと「シェアして食べるプチシュー」(シェアする相手がいない)を鯨飲馬食しながら、「ひかりもの」を聴いている。
現在の邦楽は全く聞かないし、話題となる曲を聴いても心を動かされることはないため、なぜあいみょんの曲が自分にとってここまで中毒性があるのかは分からない。ノスタルジックで柔らかいメロディと歌詞以外にも、力の抜けた自然な容姿や雰囲気、哀愁を感じさせる歌い方、なんとなく不器用に感じる生き方、兵庫県西宮市という関西のちょうどいい感じの出自などのバックグラウンド的なところも含めてなんとなく共感している気がする、という雑な自己分析を以てこのなんの生産性もない文章を締めたい。